お客様の声

03-6450-2865

10:00~19:00(土・日・祝日を除く)
10:00~17:00(土曜日)

無料相談予約

Q&Aはこちら

東京都品川区上大崎2丁目24-11 目黒西口マンション2号館 905号室 (駅から徒歩2分)

お客様の声

株式会社 聘珍樓 代表取締役

林 康弘 様

※写真はお父様である林達雄(帰化前の旧名は、龐柱琛:パンチュウシン)様。

聘珍樓の創業は1884年(明治17年)になります。そして、この横浜中華街の中でも創業以来同じ屋号で現在の中華街大通りに面する同じ敷地で営業を続けているのは当店を含む2店舗しか存在しません。
私の父である林達雄は中国廣東省高明県で生まれ19歳でこの横浜中華街に来日して以来苦節を重ねました。その後、諸事情により友人であった鮑金鉅氏から頼まれ聘珍樓の土地建物そして、のれんを買い受け「聘珍樓」を再建させた「中興の祖」になります。又、同時期に現在の萬珍樓も創業させました。
その当時、父達雄が自ら音頭を取り街の中間達とともに中華街大通りに横浜中華街で初めて「中華街」と表示した高さ15メートルの朱塗りの牌楼(ぱいろう)を横浜市の助成などを受けて建設したのを始まりとし、現在の横浜中華街の原形を整備する事に尽力しました。(そして、その数十年後、中華街では四つの牌樓【朝陽門、廷平門、朱雀門、玄武門】の増改築を行いました。その担いては言うまでもなく初代牌樓に情熱を注いだ私達華僑の息子たちです。)それらの功績を認められ皇居において、昭和天皇から「勲五等瑞宝章」を賜ることになり、第二の故国日本に骨を埋める覚悟をしたのです。そして、昭和天皇に拝謁後、東京赤坂の「頣和園」の渡辺様から前田先生をご紹介いただき、父達雄をはじめ家族全員で帰化することになったのです。
以来前田先生には、当店の主だった社員などが帰化でお世話になりました。
生前父は、昭和天皇から「日本人」として認められた事に深く感謝し、「日本人」として亡くなることを誇りに感じていました。「その父の誇りをお手伝い下さった前田先生には心から感謝しています。本当にお世話になりました。」

  • 東京都品川区在住

    ダラビ マーサ様

    私はイラン・イスラム共和国のテヘランで生まれ高校まで本国で過ごしました。
    私が日本に興味を持ったきっかけは子供の頃、日本のドラマやアニメが放映されていたので日本のことを知れば知るほど興味が強くなり、日本に住んでいた従妹からディズニーランドの写真やお土産をもらった頃から日本に対する憧れが一層強くなりいつしか私も日本に行って日本のディズニーランドに「行ってみたい」、から「行こう。」と現実に実行する計画を立てました。

     そして、本国イランの高校卒業後、父や母を説得し日本の理系の高等専門学校を経て、理系の国立大学に入学することができました。その時、自分自身に対するご褒美のつもりで憧れだった東京ディズニーランドにとうとう行くことができました。

    自分の夢であったディズニーランドは、やはり実際に足を踏み入れてもファンタジーの中にいるようでした。
     今、私は日本に渡日してから10年以上になりますが、日本の街全体がディズニーランドのように綺麗で、日本人はとても優しく礼儀正しいのでとても感心し尊敬致します。
     そして、いつの日か私もこの尊敬できる国民の一員になりたいと思うようになりました。その後、私は1年以上「帰化」をするための準備段階からアイ・ビー飛鳥行政書士法人の梶山先生に相談し、何のストレスも感じることなく、気づいてみたら全てが終わっていたという感じでさすが「プロ」だなとつくづく感心しています。梶山先生はじめ、ご担当の渡辺先生本当にお世話になりました。

  • 静岡県沼津市在住

    T・A様

    私はラオス国籍で、1975年4月以降のカンボジア、ベトナムの情勢の急変が大きな影響を及ぼし同年8月にはラオス愛国戦線が全土を掌握、12月には王政を廃止しラオス人民民主共和国が樹立され社会主義への道を歩むこととなりました。
    私の実母家族は、ラオス南部で小売業を営んでおりましたが、ベトナム戦争(第2次インドシナ戦争)後に起きた内戦の影響で実母家族は空爆などによる大きな被害を受け、自宅や街一帯が全てなくなり、近隣住民は破壊的状況となりました。
     その後実母家族はタイ難民キャンプに逃れ、そしてそのベースキャンプ内で実母と実父は出会い形式的婚姻を行い私が生まれました。その間、フランスはじめアメリカなどに難民申請をし、日本国がインドシナ難民として受け入れてくれたのです。渡日後、定住センター内で約1年6か月職業訓練を受けこれから日本で本格的に生活が始まるという矢先に実父が病気で亡くなってしまいました。そして、残された私たち家族はお互いに助け合いながら日本で生きてきました。
     そして、ふと自分自身の人生を振り返った時に自分のアイデンティティについて深く考えるようになりました。そして、私には祖国そのものがなく、自分自身の精神的拠り所、つまり「母国」を強く意識するようになったのです。その結果として「帰化」をして「日本」国民になりたいと勇気を振り絞って行動しました。私は今、つくづく思います、今まで生きてきたこと自体が奇跡なのに、その私が日本「国民」になったことは今でも信じられません。

  • 東京都板橋区在住

    趙  禹 様

    私は中国北京市の生まれで高校まで北京市で過ごしました。そして、憧れだった日本に渡日し、日本学校を経て、日本で私学の最高峰と言われる大学に合格することができました。そして、私が日本を好きになった理由は世界でもトップクラスで町並が綺麗ですし、日本は他国と違い何千年もの長い自国の歴史や文化を大切にする国であるところです。日本国民の性質は勤勉で、他者を思いやる心や、過去の歴史を尊重する心掛けがあるからこそ現在残っている歴史的資料や国宝と言われる多数の貴重な文化財の数々が数千年もの間残されているのだと思います。
     私は日本を知れば知るほど、いつか「日本」国民になりたいと思うようになったのです。そして、大学を卒業後、数年間の就職と個人事業を営みながら、単独で2年半前に帰化申請をしました。当時、私は単独で申請したものの、その結果については、相当自信がありました。それは、私の父は本国で約1000人の従業員を雇用する経営者ですし、私自身も本国にそれなりの財産を所有していたからです。
     しかし、私の自信は時間の経過とともに喪失し、申請から2年目が経過した時には精心的にも追い込まれ、精神的ダメージは相当なものでした。そして、救いを求めるように前田先生と梶山先生のいるアイ・ビー飛鳥行政書士法人に連絡を入れました。先生と面談後、私の申請に何が欠けているのか適格に指摘をして頂き、自分自身では全く気付かなかった点を指導してもらいやはり、本当のプロだな、とつくづく思いました。その時、「心に決めました。」いずれ私自身がした申請が不許可になったら必ずこの先生に依頼しようと思いました。
    そして、数ヶ月後覚悟はしていましたが法務局から「不許可」の通知を受けました。
     私は、直ちにその「不許可」通知を持参し、帰化「再申請」をアイ・ビー飛鳥行政書士法人にお願いしました。
     今は「本当に悔やんでも悔みまれない2年間」から、開放され。先生のおかけで今では不安のどん底から安心して「日本」国民になることができる気持ちでいっぱいです。
    先生、私を心のどん底から救っていただき感謝でいっぱいです、本当にありがとうございました。

  • 東京都品川区在住

    シェイラ スジヤナ様

    私は、インドネシアで生まれ、高校までジャカルタで過ごしました。その後シンガポールに渡り大学を卒業後米国資本の製薬会社に勤務し、約10年間ぐらいシンガポールで過ごしました。私が生まれたインドネシアも大学時代も含めて初めての就職を過ごしたシンガポールは赤道から近く常夏です。そして、シンガポールは東南アジアでありながら古くからイギリスの貿易や軍事拠点として、繁栄した関係から街並も整備され非常に洗練された都市でしたので私はシンガポールで一生を過ごそう、と考えた時期もありました。しかし、それを一変させたのは仕事の関係で初めて渡日した時のことでした。初めて見た東京はシンガポール以上に洗練されており、古い町並や新しいスポットの調和が絶妙で、加えて、「四季」がありその四季という風土が育てきた、「日本」人の情緒による心の奥行に接すれば接するほど、私はいつの間にか必然的にこの国の一員になりたいと思うようになりました。
     そこで、確実に「日本」国民になるため一生に一度のことですから安心感のあるアイ・ビー飛鳥行行政書士法人に手続きの全てをお願いしました。手続き期間中には何一つストレスも不安も感じることなく、2ヶ月足らずで申請が終わってしました。そして、今の私のささやかな夢は、私が「日本」のパスポートでジャカルタ空港ゲートを通過することです。梶山先生はじめ他の先生方本当にお世話になりました。

  • 東京都世田谷区在住

    林 軒立 様

    私は、台湾台北市で生まれ市内の大学を卒業とともに日本に渡日しました。
    私は台湾にいた当時から日本の映像技術の繊細さやクオリティーの高さに憧れを持ち、台湾の両親を説得の上、日本語学校に通う傍ら、映像技術の専門学校に通学し卒業後は念願であったカメラマンとして就職しました。その後、諸事情があり、台湾に帰国したのでしたが、「日本」で働きたい。」「日本で生活を送りたい。」という気持ちが強く今度は両親の反対を押し切って、ワーキングホリデーで再び再渡日しました。再渡日後は、なかなか自分自身の目指す職場には就職ができず苦労しました。
     そして、苦労の末リゾート地のホテルで就職をすることができましたのです。そのリゾート地は積雪も多くとても「四季」が感じられるところでした。私の故郷台湾は常夏に近いので一年中暑く体が疲れてしまいますが、日本は季節がゆっくりと移ろうので気候的にとても生活がしやすく快適です。それらの理由から私はこの「日本」で一生を過ごしたい、と心の底から考えるようになりました。
     その後、自分自身で帰化手続きを進めるものの、約1年以上全く何も手続きが進みませんでした。そして、自分で手続きを進められる限界を知りました。そして、仕事と手続の極度のストレスから何とか「助けてほしい」という気持ちから、アイ・ビー飛鳥行政書士法人にお願いをし、白紙の状態からたった50日足らずで申請をすることができました。私の正直な感想ですが、法務局に行っただけで何もできなかった「1年」間が本当に無駄だったと同時に、依頼から「50日」に申請できたことは私にとっては魔法のような出来ることです。梶山先生はじめ事務所の皆様には「感謝」しかありません。本当にありがとうございました。

  • 東京都中央区在住

    鄒 黎 様

    私は、中国上海で現在の夫と出会い、日本と中国とを往来しながら現在の夫と結婚しました。
    しかし、夫も私もそれぞれに仕事をし、私自身も近年新たな事業を立ち上げるなど、お互いに時間のすれ違いができるようになりました。
    そして、ここ数年お互い別々の人生を歩むことになりましたが、数年の後、縁があり、再婚することになりました。
    その時、私たちは今後の人生を歩む選択をすると同時に「帰化」も選択したのでした。しかし、どの行政書士事務所に相談に行っても「帰化」は暫く待った方が良いとの回答でした。
     そして、諦められない私は、アイ・ビー飛鳥行政書士法人に連絡をしたところ、すぐに「帰化」の手続きをしてもらい、申請受理から8ヶ月後に「帰化」することができました。
     私はこの結果に、やはり業歴の長い行政書士法人は、知識と技術が格段に違う、ということを身を以てわかりました。
    担当された梶山先生はじめ、諸先生、スタッフの皆様本当にありがとうございました。

  • 東京都世田谷区在住

    郭 智勲 様

    私は、韓国ソウル特別市で生まれ、父親の仕事の関係で10歳の時に、東京都多摩市に渡日しました。
    その時私は、全く日本語を話すことができず、何もかも全く解らない状態でしたが、その当時の小学校の担任の先生や、クラスメートがとても温かく接してくれたので、言葉も最初は身振り手振りでしたが、周りの友人達が優しくしてくれたおかげで、3ヶ月もしないうちに日本語もある程度話せるようになりました。
    結局日本には7ヶ月くらいしかいませんでしたが、その時の日本人の思いやりや心温まる優しさが忘れられず、韓国に帰国した後も、いつか又日本に行きたいと思っていました。
    そして、韓国で大学を卒業後就職し、18年後再び渡日し、5年経過後、アイ・ビー飛鳥行政書士法人にお願いして、帰化申請を致しました。
    申請中、私の帰化申請は、実母が「北朝鮮」ということもあり、難しい局面もありましたが、法務局との折衝では、梶山先生はじめ他の先生方にも色々と骨を折っていただき、ようやく申請が受理され、この度、念願だった「日本人」になることができました。これから大好きなこの日本で、温かい家庭を築いていきたいと思います。事務所の皆様、本当にお世話になりました。

  • 横浜市神奈川区在住

    カルキ ハルボル様

    私は、2009年4月に渡日し、日本語学校を経て、横浜にある大学を卒業し、そして航空関係の会社に就職しました。
    私はこの「10年」日本で色々な苦労や努力を積み重ね、今では会社内の外国人スタッフのリーダーとして活躍しております。
    そして、日頃から評価してくださっている会社の上司から「帰化」したらどうか?と何度も勧められ、そして私の母国であるネパールの両親とも相談した結果、父から「お前の人生だから、私たちのことは気にせずに、これからの自分の人生を信じて決めなさい。」と心にしみることを言われ、良く考えた結果「帰化」することに決断したのです。
    そして、「帰化」は、自分の人生を変える重大な決断だから、慎重に選択した結果、アイ・ビー飛鳥行政書士法人に決めました。
    その後依頼してから数ヶ月、私は何のストレスを感じることもなく、帰化申請ができました。このたび、今年結婚した妻も日本に招へいし、今では二人でとても幸せに暮らしています。梶山先生本当にありがとうございました。

  • 茨城県水戸市在住

    篠崎 アンジュ 様

    私は日本生まれのタイ人です。
    私の実母は私が物心つく前に実父と離別し、タイ本国に帰国してしまいました。だから私自身、実母との思い出が全くと言っていいほどありません。
    その後、私は「タイ」人として成人し、大学を卒業しました。
    現在は、ある大手企業に就職していますが、この度大学から付き合っている彼からプロポーズをされたのです。
    彼は私が「タイ」人のままでも構わないから結婚しよう、と言ってくれました。とても悩みましたが、私は愛する彼との結婚は、自分が「日本」人として彼の奥さんになりたいと強く思い、また私自身の積年の悩みであった「国籍の問題」を解決したいと思い、アイ・ビー飛鳥行政書士法人の梶山先生にお願いをしました。
    数ヶ月前、私が梶山先生に初めてお会いした時に、私の悩みを全て「告白」した時は涙が止まりませんでしたが、今こうして「帰化」申請も無事終わり、とても晴れやかな気分でいっぱいです。私は「日本」人として愛する彼と結婚します。
    梶山先生、本当にありがとうございました。

  • 東京都世田谷区在住

    ペレスセグラナンシー様

    私は本国メキシコの高校時代、日本に「短期滞在」で友人と渡日し、日本の観光名所をめぐりました。
    その時の「京都」などの印象が忘れられなくて、高校卒業後、再び日本に留学生として渡日し、日本語学校を経て関西の大学を卒業、京都にある会社に就職しました。
    日本に渡ってから十数年がたち、大好きな日本で一生を過ごしたいと思い、アイ・ビー飛鳥行政書士法人にお願いをしました。
    私の本国である「メキシコ」は帰化の事例がなく、不安でしたが、梶山先生のおかげで無事申請が受理されました。
    私が「帰化」したら、今度は車の免許をとって、大好きな「日本」をまた巡ってみたいと思います。
    梶山先生、本当にお世話になりました。

  • 東京都昭島市在住

    可 思茵 様

    私は、中国広東省で生まれ、生後すぐに遺棄(捨子)されました。それは中国での「独生子政策」のため。
    特に中国の農村部では男子が生まれないと家を継ぐものがいなくなるため、親も女子が生まれると、先祖代々の家系や土地を守るため、遺棄することがあります。ですから、私は本国の証明書類を一切提出することができませんでしたが、この度、梶山先生のおかげで「帰化」の申請をすることができました。
    私は、今まで両親がいないため苦労をしてきましたが、私は「自分が自分の友達になることを学び、ついには自分の父親と母親になることを学びました。」最後に、先生本当に本当にお世話になりました。私は絶対に日本で幸せになります。

  • 東京都豊島区在住

    林 淑君 様

    私は、日本の大学を卒業後、台湾で就職したのち日本の準大手メーカー企業に総合職として就職 しました。日本に住むうちに、安定して日本に住み続けたいと思うようになり、
    又、日本に渡日してから日本での生活が台湾での生活よりも長くなりもう台湾に戻って生活する事は考えられません。

     ここ1~2年は度々アメリカ初めヨーロッパなどを往来し現地での調査や市場調査など、海外に頻繁に出張する事になりましたが、そこで国籍の壁を目の当たりに感じました。 私は(台湾籍)のため国によっては短期の出張でもいちいち査証(VISA)の申請をしなくてはなりません。そして、渡航国によってはVISA申請から数カ月かかる国もあります。このようにフットワークが悪くては商談などのビジネスチャンスに会社も私も乗り遅れる事は必至です。そこで私は個人的事情もありましたが思い切って社長に私の「帰化」について相談したところ、全面協力をするとの快諾を得られたのです。
     そして、私は数ある帰化サイトの中から実績と経験から迷うことなく、アイ・ビー飛鳥行政書士法人に決めました。
    この度は帰化許可も頂き念願の「日本」人になる事ができました。
    前田先生、梶山先生ありがとうございました。そして、両先生のおかげでなんの不安もなく安心して「帰化」の結果を待つことができました。本当にお世話になりました。

  • 東京都練馬区在住

    付 美紀様

    私の父母は中国東北の出身で、私は日本生まれの「中国」人です。
     私が「帰化」しようと思ったきっかけは大学4年生の時、友人の親類がオランダにおり、その友人を含め4人でオランダに卒業旅行に行くことに決めたのです。私以外の3人は皆「日本」人で何も知らない私達は直ぐにチケットを予約しました。しかし、わたしは「中国」人なので私だけが査証(VISA)手続が必要なことを知り、急いで査証申請しましたが、結局当日のフライトには間に合わず私だけが卒業旅行に行くことができませんでした。
    私は今まで何となく両親には遠慮していましたが、その事がきっかけで私は両親に「帰化」をしたいことを打ち明け、加えて中国本国書類の準備を頼みました。しかし、中国人のまま「永住者」そして「家族」として現在を維持したい両親と日本で生まれ日本しか知らず今後の自分の人生のために「日本」人になりたい私とでは全く意見が合わず、結局2年以上も頼み続けましたが何も協力してくれることはありませんでした。

      途方にくれていた私はインタ-ネット検索で「アイ・ビー飛鳥行政書士法人」を見つけ、私は直感的に「ここだ」と思い、すがる思いで連絡を入れました。
      梶山先生と面談し過去の事情と私の「帰化」の思いを全て先生にお話しをしました。
     私は全て先生に伝え終わると自然と涙が溢れ止まりませんでした。先生は私が泣きやむのを待って「本当につらい思いをしましたね、でも諦めることはない。何とかしましょう」と言ってくれたのです。その後全てを先生に委ね結果的に帰化申請をし、そしてその10ヶ月後に「帰化」することができました。
     私は今、「つくづく思います、本当に諦めないで良かった」と。
    これからは「日本」人として「オランダ」だけではなく自由に世界に翼を広げて行きたいと考えています。
     先生、本当にありがとうございました。

  • 東京都江戸川区在住

    シャシャ様

    私は、ミャンマ-の首都ヤンゴンで生まれヤンゴン大学の理学士として卒業しました。
     その後、あこがれだった日本に渡日し、現在の夫(日本人)と結婚しました。
     そして、夫と真剣に話し合った結果、私は帰化を決断し、梶山先生に帰化手続を依頼することになりました。結果は私が想像していた以上に手続もスム-ズに運び、気づいたら帰化申請が終わっていた、という感じでした。しかし、問題は帰化申請後に私が転職したことから始まりました。
      転職後の職場で私は数人からパワ-ハラスメントを受け、私も帰化申請中だったので「がまん」をしていましたがたまらず梶山先生に連絡を入れたところ梶山先生は私のパワ-ハラスメントの状況を事細かく聞いたあと、「わかった、がまんすることはない」そして、「これ以上君がその会社に居ても何も改善されることはないだろう。」と言ってくれたのです。私はきっと先生に退職を止められるだろう、と思いましたがむしろ、先生の判断力と心強い一言で勇気とエネルギーをもらい直ぐに行動する事ができました。
      その後、転職もすぐすることができ法務局の手続きや対応もすべて先生にお願いしました。先生のおかげで今では、気の合う仲間たちと楽しく仕事を続けています。
    私は今、「日本」人として心から先生に感謝しています。

  • 元国立大學病院消化器内科部長

    陳 彩嬀 様

     私は、30数年前に中国・華東から日本に留学生として来日し、日本の大学(医学部)を卒業しました。以来国立大学病院の医局(消化器内科)に勤務し、当時医局長だった日本人の夫と結婚し2人の子供を授かりました。
     前田先生とのご縁は、日本人の夫との結婚以来「日本人の配偶者等」から始まり在留資格「永住者」の手続きでお世話になりました。その後、2人の子供も独立し3人の孫ともふれあいながら日本人の夫と長く幸せに暮らしておりました。ところが一昨年最愛の夫があまりにも突然に亡くなり途方に暮れていた折、長くお世話になってきた前田先生にご連絡したところ、
    「とにかくお会いしましょう。」ということになり、10数年ぶりに日比谷の帝国ホテルでお会いすることになりました。そして、前田先生にお会いした瞬間に涙が溢れて止まらず、その後何をお話ししたのかも今では覚えておりません。その際に前田先生が私に、 「パパのために帰化しなさい。」という一言で、全てを先生に委ねることにしました。この度おかげさまで帰化の交付も頂き「日本人として生きてゆく」ことになりました。そして、帰化交付後の手続きも世間を知らない私のために、梶山先生もお手伝い頂き遺族年金の手続きなど私がこの日本で生きてゆく全ての手続きを完了させて頂きました。本当にお二人の先生には、「ありがとうございました。」という言葉では言い表わせないくらい心より感謝申し上げます。今後のお二人のご健康と、ご活躍を心よりお祈り申し上げます。

  • 東京都狛江市在住

    大友 裕美 様

    私は香港出身者で、二十代の頃には貿易会社の社員として南アフリカのケープタウンに3年、ヨハネスブルクに2年間いたことがあります。
    その後、日本には1994年に初来日し、1996年に再び来日した時に現在の夫と知り合いそれ以来、前田先生には在留資格の手続きでお世話になってきました。来日して20年、そして「永住者」として10年以上が過ぎましたが、夫はじめ子供達から日本に「帰化」することを当然のように勧められてきましたが、故国香港から日本に帰化することの決心がなかなかつきませんでした。
    そんな折、私の友人(中国広東省出身者)から永住者の配偶者資格取得を相談されたので前田先生に相談するために、久しぶりにお会いしたところ梶山先生も同席され、実際は友人の件で相談に行きましたが、結局私のデリケートな「帰化」の問題を中心に相談することになり最終的には信頼できる両先生にお願いすることになったのです。申請期間中は親身にかつ丁寧にご説明下さり、安心して「帰化」申請することができました。本当にありがとうございました。

  • 横浜中華街広東料理 同發本館/有限会社 同發

    周 慶錦 様

    当店は明治の創業以来、「お客様と共に発展していきたい」との創業者のお客様に対する真摯な気持ちと中華街の古き良き時代の伝統をかたくなに守り続けています。そして、前田先生とのご縁は先代が帰化をお願いしたことに始まります。そして時期を同じくして、当時先代が横浜華僑総会の理事をしていた関係から、前田先生のご発案で「この中華街に観光地にふさわしい東京日比谷にある《 帝国ホテル 》の駐車場のように多くの観光客の車を収容できる駐車場タワーを作ったらどうか?」というご発案により先代が華僑総会に諮り、先生の提案から1週間後に駐車場の青写真ができ、その後用地の取得を経て現在の「中華街パーキング」が完成をしたのです。この完成によって、中華街全体が更なる発展を見ることができました。
    同時に当店においても、大型バスが何台も駐車できるようになったことから、当店が東京の「はとバス」のコースの中に加わり「北京ダック」のおいしい店として東京でも大変評判になりました。
    前田先生は、この中華街では同胞を帰化させる先生として有名な方ですが、この「中華街パーキング」が先生のご発案で作られたことは、現在の中華街では知る人は少ないかも知れません。
    最後に前田先生にはこの横浜中華街はじめ先代や私達家族も帰化で本当にお世話になりました。「先生本当に、謝謝。」

  • 横浜中華街広東料理「永華樓」 店主/株式会社永華樓 代表取締役

    松村 康明 様

    横浜中華街も日本の歴史の変遷と共に様々な店舗が出現と消滅という変遷を繰り返しながら今日の中華街の姿があります。
    今こうしてわが「永華樓」が繁栄、永続できたのも「日本人」になることを「選択」した先代(父)の決断があったからだと思っています。
    当家は、祖母、父、そして私と親子三代、前田先生に帰化の手続きをして頂きお世話になりました。
    そして、その父の「選択」を適えてくれた前田先生には心から感謝をいたします、「本当にありがとうございました。」

  • 上海料理「状元樓」 横浜中華街本店料理長

    相馬 幸高 様

    私が前田先生に、はじめてお会いしたのは、当店の二代目オーナーから紹介されたのがきっかけです。
    私は中国上海から日本に来日して、ここ横浜中華街に来て10年が経過した頃、オーナーから「日本に帰化をして長く日本にいてこの状元樓を支えてほしい。」と言われたのです。
    その当時、私の父も母もまだ存命だったのですが上海には兄もおり、正直何年もの間「中国に帰国するか、日本に永住をして留まるかそして、日本に帰化するか、本当に悩みました。」
    そんな折、当店のオーナーから前田先生を紹介され、いろいろお話をした結果、二代目オーナーの情熱と前田先生のこの横浜中華街で、数多くの同胞を日本人に帰化させて来た実績や経験に対する信頼から、日本に帰化することを決断いたしました。
    今では、横浜に自宅を建て二人の子供も中学校に上がり家族ともども幸せに暮らしています。あの時、先生に対する信頼がなければ、帰化の決断はしていなかったと思います。「本当に前田先生ありがとうございました。」

  • 横浜中華街 広東料理「均元樓」 二代目オーナー

    大城 美也子 様

    私ども、均元樓は私の父、母、姉そして私が前田先生に帰化の手続きをしていただきました。
    又、私達が前田先生に帰化をお願いしていたころは、中国広東省広州から料理人を日本に招聘することはものすごく大変なことでした。
    そして私の父は、日本に中国から招聘する料理人を私達同様に前田先生に帰化をお願いしておりました。その後、私がこの均元樓を父から経営を任された以後も当店で料理長になる人には前田先生に数回帰化をお願いしました。
    私達家族をはじめ、当店の店員にいたるまで前田先生には本当にお世話になりました。心から感謝申し上げます。

ページの先頭へ

   

03-6450-2865

受付時間:10時~19時(平日)、10時~17時(土曜)

03-6450-2866(24時間受付)