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東京都品川区上大崎2丁目24-11 目黒西口マンション2号館 905号室 (駅から徒歩2分)

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株式会社 聘珍樓 代表取締役

林 康弘 様

※写真はお父様である林達雄(帰化前の旧名は、龐柱琛:パンチュウシン)様。

聘珍樓の創業は1884年(明治17年)になります。そして、この横浜中華街の中でも創業以来同じ屋号で現在の中華街大通りに面する同じ敷地で営業を続けているのは当店を含む2店舗しか存在しません。
私の父である林達雄は中国廣東省高明県で生まれ19歳でこの横浜中華街に来日して以来苦節を重ねました。その後、諸事情により友人であった鮑金鉅氏から頼まれ聘珍樓の土地建物そして、のれんを買い受け「聘珍樓」を再建させた「中興の祖」になります。又、同時期に現在の萬珍樓も創業させました。
その当時、父達雄が自ら音頭を取り街の中間達とともに中華街大通りに横浜中華街で初めて「中華街」と表示した高さ15メートルの朱塗りの牌楼(ぱいろう)を横浜市の助成などを受けて建設したのを始まりとし、現在の横浜中華街の原形を整備する事に尽力しました。(そして、その数十年後、中華街では四つの牌樓【朝陽門、廷平門、朱雀門、玄武門】の増改築を行いました。その担いては言うまでもなく初代牌樓に情熱を注いだ私達華僑の息子たちです。)それらの功績を認められ皇居において、昭和天皇から「勲五等瑞宝章」を賜ることになり、第二の故国日本に骨を埋める覚悟をしたのです。そして、昭和天皇に拝謁後、東京赤坂の「頣和園」の渡辺様から前田先生をご紹介いただき、父達雄をはじめ家族全員で帰化することになったのです。
以来前田先生には、当店の主だった社員などが帰化でお世話になりました。
生前父は、昭和天皇から「日本人」として認められた事に深く感謝し、「日本人」として亡くなることを誇りに感じていました。「その父の誇りをお手伝い下さった前田先生には心から感謝しています。本当にお世話になりました。」

  • 東京都練馬区在住

    付 美紀様

    私の父母は中国東北の出身で、私は日本生まれの「中国」人です。
     私が「帰化」しようと思ったきっかけは大学4年生の時、友人の親類がオランダにおり、その友人を含め4人でオランダに卒業旅行に行くことに決めたのです。私以外の3人は皆「日本」人で何も知らない私達は直ぐにチケットを予約しました。しかし、わたしは「中国」人なので私だけが査証(VISA)手続が必要なことを知り、急いで査証申請しましたが、結局当日のフライトには間に合わず私だけが卒業旅行に行くことができませんでした。
    私は今まで何となく両親には遠慮していましたが、その事がきっかけで私は両親に「帰化」をしたいことを打ち明け、加えて中国本国書類の準備を頼みました。しかし、中国人のまま「永住者」そして「家族」として現在を維持したい両親と日本で生まれ日本しか知らず今後の自分の人生のために「日本」人になりたい私とでは全く意見が合わず、結局2年以上も頼み続けましたが何も協力してくれることはありませんでした。

      途方にくれていた私はインタ-ネット検索で「アイ・ビー飛鳥行政書士法人」を見つけ、私は直感的に「ここだ」と思い、すがる思いで連絡を入れました。
      梶山先生と面談し過去の事情と私の「帰化」の思いを全て先生にお話しをしました。
     私は全て先生に伝え終わると自然と涙が溢れ止まりませんでした。先生は私が泣きやむのを待って「本当につらい思いをしましたね、でも諦めることはない。何とかしましょう」と言ってくれたのです。その後全てを先生に委ね結果的に帰化申請をすることができました。
     私は今、「つくづく思います、本当に諦めないで良かったと。」そして私が「帰化」したら、
    「オランダ」だけではなく自由に世界に翼を広げて行きたいと考えています。
     先生、本当にありがとうございました。

  • 東京都江戸川区在住

    シャシャ様

    私は、ミャンマ-の首都ヤンゴンで生まれヤンゴン大学の理学士として卒業しました。
     その後、あこがれだった日本に渡日し、現在の夫(日本人)と結婚しました。
     そして、夫と真剣に話し合った結果、私は帰化を決断し、梶山先生に帰化手続を依頼することになりました。結果は私が想像していた以上に手続もスム-ズに運び、気づいたら帰化申請が終わっていた、という感じでした。しかし、問題は帰化申請後に私が転職したことから始まりました。
      転職後の職場で私は数人からパワ-ハラスメントを受け、私も帰化申請中だったので「がまん」をしていましたがたまらず梶山先生に連絡を入れたところ梶山先生は私のパワ-ハラスメントの状況を事細かく聞いたあと、「わかった、がまんすることはない」そして、「これ以上君がその会社に居ても何も改善されることはないだろう。」と言ってくれたのです。私はきっと先生に退職を止められるだろう、と思いましたがむしろ、先生の判断力と心強い一言で勇気とエネルギーをもらい直ぐに行動する事ができました。
      その後、転職もすぐすることができ法務局の手続きや対応もすべて先生にお願いしました。先生のおかげで今では、気の合う仲間たちと楽しく仕事を続けています。
    私は今、「日本」人として心から先生に感謝しています。

  • 元国立大學病院消化器内科部長

    陳 彩嬀 様

     私は、30数年前に中国・華東から日本に留学生として来日し、日本の大学(医学部)を卒業しました。以来国立大学病院の医局(消化器内科)に勤務し、当時医局長だった日本人の夫と結婚し2人の子供を授かりました。
     前田先生とのご縁は、日本人の夫との結婚以来「日本人の配偶者等」から始まり在留資格「永住者」の手続きでお世話になりました。その後、2人の子供も独立し3人の孫ともふれあいながら日本人の夫と長く幸せに暮らしておりました。ところが一昨年最愛の夫があまりにも突然に亡くなり途方に暮れていた折、長くお世話になってきた前田先生にご連絡したところ、
    「とにかくお会いしましょう。」ということになり、10数年ぶりに日比谷の帝国ホテルでお会いすることになりました。そして、前田先生にお会いした瞬間に涙が溢れて止まらず、その後何をお話ししたのかも今では覚えておりません。その際に前田先生が私に、 「パパのために帰化しなさい。」という一言で、全てを先生に委ねることにしました。この度おかげさまで帰化の交付も頂き「日本人として生きてゆく」ことになりました。そして、帰化交付後の手続きも世間を知らない私のために、梶山先生もお手伝い頂き遺族年金の手続きなど私がこの日本で生きてゆく全ての手続きを完了させて頂きました。本当にお二人の先生には、「ありがとうございました。」という言葉では言い表わせないくらい心より感謝申し上げます。今後のお二人のご健康と、ご活躍を心よりお祈り申し上げます。

  • 東京都狛江市在住

    大友 裕美 様

    私は香港出身者で、二十代の頃には貿易会社の社員として南アフリカのケープタウンに3年、ヨハネスブルクに2年間いたことがあります。
    その後、日本には1994年に初来日し、1996年に再び来日した時に現在の夫と知り合いそれ以来、前田先生には在留資格の手続きでお世話になってきました。来日して20年、そして「永住者」として10年以上が過ぎましたが、夫はじめ子供達から日本に「帰化」することを当然のように勧められてきましたが、故国香港から日本に帰化することの決心がなかなかつきませんでした。
    そんな折、私の友人(中国広東省出身者)から永住者の配偶者資格取得を相談されたので前田先生に相談するために、久しぶりにお会いしたところ梶山先生も同席され、実際は友人の件で相談に行きましたが、結局私のデリケートな「帰化」の問題を中心に相談することになり最終的には信頼できる両先生にお願いすることになったのです。申請期間中は親身にかつ丁寧にご説明下さり、安心して「帰化」申請することができました。本当にありがとうございました。

  • 横浜中華街広東料理 同發本館/有限会社 同發

    周 慶錦 様

    当店は明治の創業以来、「お客様と共に発展していきたい」との創業者のお客様に対する真摯な気持ちと中華街の古き良き時代の伝統をかたくなに守り続けています。そして、前田先生とのご縁は先代が帰化をお願いしたことに始まります。そして時期を同じくして、当時先代が横浜華僑総会の理事をしていた関係から、前田先生のご発案で「この中華街に観光地にふさわしい東京日比谷にある《 帝国ホテル 》の駐車場のように多くの観光客の車を収容できる駐車場タワーを作ったらどうか?」というご発案により先代が華僑総会に諮り、先生の提案から1週間後に駐車場の青写真ができ、その後用地の取得を経て現在の「中華街パーキング」が完成をしたのです。この完成によって、中華街全体が更なる発展を見ることができました。
    同時に当店においても、大型バスが何台も駐車できるようになったことから、当店が東京の「はとバス」のコースの中に加わり「北京ダック」のおいしい店として東京でも大変評判になりました。
    前田先生は、この中華街では同胞を帰化させる先生として有名な方ですが、この「中華街パーキング」が先生のご発案で作られたことは、現在の中華街では知る人は少ないかも知れません。
    最後に前田先生にはこの横浜中華街はじめ先代や私達家族も帰化で本当にお世話になりました。「先生本当に、謝謝。」

  • 横浜中華街広東料理「永華樓」 店主/株式会社永華樓 代表取締役

    松村 康明 様

    横浜中華街も日本の歴史の変遷と共に様々な店舗が出現と消滅という変遷を繰り返しながら今日の中華街の姿があります。
    今こうしてわが「永華樓」が繁栄、永続できたのも「日本人」になることを「選択」した先代(父)の決断があったからだと思っています。
    当家は、祖母、父、そして私と親子三代、前田先生に帰化の手続きをして頂きお世話になりました。
    そして、その父の「選択」を適えてくれた前田先生には心から感謝をいたします、「本当にありがとうございました。」

  • 上海料理「状元樓」 横浜中華街本店料理長

    相馬 幸高 様

    私が前田先生に、はじめてお会いしたのは、当店の二代目オーナーから紹介されたのがきっかけです。
    私は中国上海から日本に来日して、ここ横浜中華街に来て10年が経過した頃、オーナーから「日本に帰化をして長く日本にいてこの状元樓を支えてほしい。」と言われたのです。
    その当時、私の父も母もまだ存命だったのですが上海には兄もおり、正直何年もの間「中国に帰国するか、日本に永住をして留まるかそして、日本に帰化するか、本当に悩みました。」
    そんな折、当店のオーナーから前田先生を紹介され、いろいろお話をした結果、二代目オーナーの情熱と前田先生のこの横浜中華街で、数多くの同胞を日本人に帰化させて来た実績や経験に対する信頼から、日本に帰化することを決断いたしました。
    今では、横浜に自宅を建て二人の子供も中学校に上がり家族ともども幸せに暮らしています。あの時、先生に対する信頼がなければ、帰化の決断はしていなかったと思います。「本当に前田先生ありがとうございました。」

  • 横浜中華街 広東料理「均元樓」 二代目オーナー

    大城 美也子 様

    私ども、均元樓は私の父、母、姉そして私が前田先生に帰化の手続きをしていただきました。
    又、私達が前田先生に帰化をお願いしていたころは、中国広東省広州から料理人を日本に招聘することはものすごく大変なことでした。
    そして私の父は、日本に中国から招聘する料理人を私達同様に前田先生に帰化をお願いしておりました。その後、私がこの均元樓を父から経営を任された以後も当店で料理長になる人には前田先生に数回帰化をお願いしました。
    私達家族をはじめ、当店の店員にいたるまで前田先生には本当にお世話になりました。心から感謝申し上げます。

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